
初めまして!!会社員をやりつつ、ブログを書いているゆう(@YOU_china1868)です。
この記事では、ゆうの生い立ちについて、ひたすら詳しく紹介します(*^^*)
過去の写真と共に、かなーり盛り込みました。
そしてせっかくなので、その経験を通して、学んだこともまとめておきました。
実はゆう。自分の経歴を話すと、よく多くの人に、
- まじか、これ意外過ぎる!
- 普段のお前とギャップありすぎ!
と言われます。笑
確かに、普段ゆるゆる穏やかなゆうからは、あまり想像しにくいかもしれません。笑
そこでこの機会に、知られざるゆうの24年間をこの記事で暴露していきます。
意外とアクティブに動いているんですよ笑
それではいってみましょう(*^^*)
Contents
ゆうの最近の活動まとめ!

まず、ゆうの特徴や最近の活動など、ポイントをまとめました。
- 今年25歳になる会社員。社会人3年目。
- 2018年4月の転勤に伴い、札幌→東京(大井町)へ引っ越し。
- ブログ開始約8ヶ月経過。PVは約90,000ほど。収益も発生中。
- 『チームらぶサポ』メンバー。
- 『きたしょーサロン』アドバイザー。
- ポートレートモデル挑戦中。(アミティープロモーション所属)
- 海外が好き。これまで9ヶ国制覇!中国在住経験もあり!
- 阪神タイガース大好き。
- 食べることも大好き。ラーメン、ハンバーグ、オムライスなどなど。
簡単にまとめると、こんな感じです。詳しくはこちら!!

まだまだ力不足感が否めないですが、少しづつ、自分のペースで頑張っていきます。
ゆうの人生を一緒に振り返ろう
月日を遡ること24年。1993年10月25日。ゆうご生誕です!!(ここから??)
家族は、父、母、ゆうの3人家族。
よく姉がいそうと言われますが、一人っ子です。笑
母は、流産も経験し、お腹を痛めて、やっとの事で生んでくれました。
そういった苦労もあるからか、両親からは少し過保護気味に育ててもらったと思います。(特に幼少期)

真ん中で、いとこに頭を撫でられているのがゆうです。
中央1番奥の母は、とにかく多趣味。フルートやクラシック、ハープや語学など、色んなことに挑戦します。世界遺産検定もちゃっかり受かっていました。
センターで存在感をアピールしている父は、色々な場所に行くのがとにかく好きな人。
過去にも何度も海外に行き、ヨーロッパをバイクで横断したり、野宿したりと、とにかく行動力がすごい。笑
休みの日も基本外に出かけ、ここ数年はスポーツクラブにハマっているようです。
家でダラダラというイメージが全くない元気な父。
(今年で定年だね、お疲れ様でした。)
元気の塊?外で走り回っていた小学生時代!

小学校の頃は、学校に授業開始1時間前くらいに行き、朝から友達と鬼ごっこや野球、キックベースなどをしていました。
とにかく、走り回ってた!!冬も!!当時なんでこんなに走り回っていたのかは、今も謎に包まれたまま。笑
そのため自然と足が速くなり、運動会では毎年のようにリレーの選手に選ばれるようになりました。(お昼休みに練習のあのやつです笑)
また廊下を全力疾走して、先生に怒られるのが日課になりました。担任の先生に、「何を言っても響かない」と呆れられます。笑
勉強はそこまで好きではなかったのですが、一応真面目に取り組んでいました。

小学校5年生くらいから、突然中学受験をすることを決意。
理由は親がその方がいいと言ったから。当時の僕は、親の言うことが絶対だと思い込み、自分で決断することがあまりできない人でした(>_<)
困ったら親に相談→アドバイス→とにかく親の言う通りに動く。
そのため、自分で考える癖がなかなかつかず、後々少し苦労しました。
(いつも話を聞いてくれてありがとう!)
大好きな野球!のはずが、、、辞める寸前?中学時代!

中学は、親の言う通り受験しました。そこに自分の意思はあまりなかったので、モチベーションを保てるはずがなく、あえなく失敗。
第三志望の中高一貫の男子校中学に進学します。
そこでずっと入りたいと思っていた、憧れの野球部に入部。
しかし。。。
実はこの中学、甲子園に出場経験もある高校の付属中学校。8割以上が、少年野球やリトルリーグ上がりのメンバーです。
ゆうとレベルが全然違う(>_<)
入部直後に、自他共に認める『できない組』の選抜メンバー入り。笑
もちろん練習もきついですし、とにかく休みの日が無かったのです。
月水金:放課後〜20時まで
火木 :7時〜9時まで
土 :13時〜18時まで
日 :練習試合2試合 (朝6時半集合)
プライベートがほぼない、野球漬けの毎日。
せっかく憧れて入ったのに、入部して1週間で後悔しました。。。

転機は2年生の秋。
試合にも出れず、新たに入ってきた後輩達よりも下手くそなゆうは、モチベーション下がりまくりの日々を過ごしていました。
・はぁ。今日も練習かぁ。。
・練習早く終わらないかなぁ。。
・雨降って練習試合中止にならないかなぁ。
あれだけ好きだった野球が、「一番嫌いなもの」になっていたんです。
そんな風に思う毎日。ある日、監督室に呼ばれました。
「お前みたいな、意識の低いやつはいらない。野球ができることに感謝できないやつは、グラウンドに入る資格がない。とっとと辞めてしまえ。」
リアルでこう言われました。(監督ぅぅぅ。怖すぎか。)でも正論でした。
この言葉で、ようやく奮起したゆう。今まであまり考えたことのなかった「自分にできること」をようやく「自分の頭」で考え始めました。
- 小学生時代で身につけた足の速さ。
- 身長が低いからこその、メリット。(ストライクゾーンが狭くなる)
- 割と正確な守備。
背伸びせず、自分の強みを生かして頑張ろう。意識を変えました。

それ以降はチャンスをもらえるようになり、気づけば2番ライトのレギュラーに定着。
(引退試合の最終打席は、ファーストへのファールフライ笑)
この3年間は辛かったものの、今後の僕にとってかけがえのない3年間になりました。
〈この3年間で学んだこと〉
- 意識を変えれば、自然と行動が変わり、評価まで変わる。
- 適材適所。自分に合う、自分の強みが活かせる所で勝負しよう。
- チームとは、お互いの欠点を補い合うもの。みんなと同じでなくて良い。全員同じ役割では、チームは成り立たない。
- 正しい努力は嘘をつかない。
チームプレーから自分との闘いへ!高校時代!

中高一貫校なので、エスカレーター式で高校に進学。まだまだ男子校の呪縛が続きます。
実は中学時代、野球と並行して勉強も頑張っていました。学年でトップ10入りの賞状も、ちゃっかり何度か受賞。笑
そのため、大学受験を見据えた「特進クラス」に入る権利を得ましたが、あえて辞退。
理由はあまり覚えていないのですが、おそらく自分のペースでゆっくりやりたかったんだと思います。(それと早朝授業が嫌だった笑)
部活は心機一転、陸上部に入部。競技は200Mと400Mでした。
入部の理由は、
- 部員が少なくリレーすら組めないから、助けてほしいと声をかけられたから。
- 野球でチームプレーを経験したので、個人プレーの競技に興味が湧いたから。
- 走ることが好きだから。
- 監督が気の合う、好きな先生だったから。
- 練習が野球部より緩いから。←
一番の理由は「声をかけていただいたこと」です。こういうことをされると、断れない人なのです笑
高校時代は野球から解放されたので、時間の余裕もでき、色々なことに目覚めます。
まずゲーム。←おいっ!
モンスターハンターにどハマりし、200時間以上プレイ。陸上部での個人プレーが終わったら、太刀や双剣を振り回し、チームプレイ!!!
大量の時間と視力を失いました。。(この時間をブログに使いたい。笑)
次にAKB48。←おいおいっ!
当時「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテション」といった、まさに48グループ全盛期のころ。
男子校で流行らないはずはなく、AKBINGOを毎週録画し、昼休みの放送でも常に曲が流れていました。ちなみに推しメンはゆきりんでした☆
(もちろんこんな陰キャラに彼女はできません。絶賛氷河期です。)
そして大学受験へ。
陸上部を引退した後は、とにかく勉強しまくりました。少なくとも1日10時間以上はやってたような気がします。(受験だから当たり前かも!笑)

そしてなんとか中央大学経済学部に合格し、進学。無事「自分との闘い」に勝利しました。
今振り返ると、これを乗り越えられたのは確実に野球部、陸上部での経験があったからですね。
これも今後の自信につながりました。
〈この3年間で学んだこと〉
- チームプレーと個人プレーの競技を経験すると、全く違う別の世界が見える。
- 陸上は常に「自分」と「タイム」との闘い。この経験は勉強や仕事など、色々なことに応用できる。
- 学校生活と共に狩猟生活を始めると、1日が24時間じゃ足らない。←
- 男子校でゲームとAKBにハマると、99%彼女はできない。
氷河期時代の終結へ!挑戦しまくりの大学時代!

さて、ここまできましたね。ついに大学時代です。
受験勉強からも解放され、大学生活満喫するぞぉおお!と意気込むものも、いきなり大問題が発生しました。
「じょっ、女性と話せない。。。」
そうなんです。女兄弟もおらず、中学高校の6年間を男子校で過ごしたゆうにとって、若い女性が生活圏にいるのが非日常的。(この6年間は氷河期と呼んでいます)
ちなみに主な症状がこちら。
- 何を話して良いかわからない。
- めちゃ緊張して、声が上ずる。
- 作り笑いで、顔が引きつる。
- どこを見れば良いか分からず、視線が定まらない。
- 友達に「女性の前だと、ライオンを前にした草食動物のような目をしているよね!」と言われる。
- 頭が真っ白になる。
- 手汗をかきまくる。
我ながら重症過ぎるよ!!!笑
男子校楽しいけどね!これはやっぱり大変でした。
(※もちろん全員がそうなる訳ではありません)

先行きが危ぶまれるゆうですが、大学ではとにかく色々なことをやってみました。
ここでは主に2つをピックアップします!
意外過ぎる?応援団らしさゼロの応援団員は私です!
まずは部活のお話から!!
サークルではなく、体育連盟の部活応援団に入部。
演奏部隊として、パーカッションを担当していました。

そんなゆうの応援活動は、多岐に渡ります。
- 軟式、準硬式、硬式野球
- アメフト
- 箱根駅伝
- サッカー
- アイスホッケー
- ボート
などなど。平日の試合の時は、公欠で授業を休んで応援に行きます。楽しかった!!

応援団を選んだ理由は色々あって、
- これまでやってきた野球や陸上に、別の角度から関わってみたい。
- スポーツの経験が多いが、音楽系はこれまで挑戦したことがなかった。大好きなスポーツと音楽の両方を経験できる。
- 純粋に応援が好き。観客との一体感も最高。
- チアと仲良くなれるかな。。(小声
今思うと、応援団に入って選手とともに笑い、選手とともに泣き、かなり熱い4年間でした!!
(無事チアの彼女もできました。ちなみにポニーテールが好きです。)
そして、ここで応援することの楽しさを改めて実感しました!!
この企画にもつながっているなぁと思います。
〈応援団に入って学んだこと〉
- 好きで応援しているのに、自然と感謝される世界があることを知る。
- 観客と一緒に応援を作り上げる時の一体感は感動もの。応援は生き物。
- 応援はただの一方通行ではない。選手の懸命なプレーに、逆に勇気と感動をもらえる。
価値観をことごとく壊された?中国での生活に挑戦!

次に中国での生活。この経験が確実にゆうの価値観を大きく変えました。
大学3年生の時、約10ヶ月間を中国の大連で過ごしました。
理由は、
- 高校の修学旅行で上海に行き、日本語学科の現地の中国人と交流。感銘と衝撃を受けた。中国語を学んでみたい。
- 経済発展の目覚ましい中国を、自分の目で見てみたい。
- 学生のうちに海外で長期間生活してみたい。
- 何か新しいきっかけを掴みたい。
- 就活で有利になるかな。。
大学1年生の頃から勉強を始め、英検の中国語版である「HSK」の4級(最難関は6級)を取得。
第二外国語の授業以外に自分でも勉強してました。偉いよ自分!!
(現在はHSK5級取得済み)
そして大学の留学プログラムを利用し、出来る限りの勉強と準備をし、中国へ向かいました。

最初は全く歯が立たちませんでした。やっぱり日本でいくら勉強しても、現地でさぁ喋る!となると、かなり難しい。
耳が慣れてないんで、知ってるフレーズすら聴き取れませんでした。
(当然ではあるんですが、当時のゆうは割と絶望しました笑)
しかし1ヶ月ごろから、感覚が変わりだすのがわかります。
ゆうが実践した語学の勉強法については、今後記事でも紹介していきますね(*^^*)

現地では、日本人はクラスにたった2人。
韓国、北朝鮮、ロシア、タイ、ウズベキスタン、アフリカのコンゴなど、世界から集った外国人と共に、全て中国語で、中国語の授業を受けていました。
みんな分からないなりにも必死に勉強して、助け合いながらの毎日。
休み時間も中国語で外国人と話すほど、みんな本気でした。(でも青春でした!)
赤い服がゆうです!
中国語の上達には、とにかく話しまくることだと考え、基本日本語を学習している中国人や、日本に興味あるけど日本語が話せない中国人と行動していました。
やっぱり留学という決められた期間がある場合は、どんな人と一緒に過ごすかがかなり大切ですね。
お昼ご飯は日替わりで色んな中国人の方と食べました。まさに日替わりランチです笑
この頃はちょうど20歳の頃。若い!!
中国へ行くまで、中国人はいい加減で、声がうるさいなど、やはりそこまで良いイメージを持っていなかったゆう。
しかし現地で中国人の「熱心さ」や「優しさ」「あたたかさ」に触れ、かなり反省。
自分の見ている世界、知っている世界の小ささを痛感しました。

写真は北京旅行。これ模型じゃないです。人の小ささ!笑 故宮の壮大さが分かります。
また、常にペンとメモ帳を持ち歩いて会話中に出てきたフレーズを片っ端からメモっていたら、「新聞記者」というあだ名をつけられました。笑
(実は結構気に入っている)
他にも、日本語を全く勉強したことがない中国人に、日本のことを教える授業を企画したり、
中国人向けリスニング日本語教材のCD録音業務を担当させてもらったり。
ゆうの声が入った中国人向けの日本語リスニング教材が、中国で実際に出版されました。なんと!!!
当時は帰国までの時間が決められていたので、かなり積極的に動いていた気がします。
帰国後は、逆に日本に対して違和感を感じるように。
中国から帰国後は、「人が変わった!」「目が輝いてるね!」など言われ、「予想外のアクシデントが毎日のように起こる、無法地帯のような場所(笑)でも生き抜くことができた!」と自分でも大きな自信に。
そして挑戦することへの楽しさが、さらに芽生えました。
〈中国で学んだこと〉
- 自分の常識なんて非常識。外の世界も見てみよう。
- 足を動かせば、自然と道は開ける。
- 日本が当たり前ではない。日本と比較できる世界を知ることで、より日本のありがたみや、興味を持つことができる。
- 1番もったいないことは「知らない」こと。知らないと何も始まりません。
- 言葉が通じなくても、アクシデントが起こっても、意外となんとかなる。国は違くても、お互い同じ人間。自分を信じる=「自信」を持とう。
中国から帰国!日本をもっと知ろう企画に挑戦!
中国人と交流していると、日本について色々な質問が飛んできます。
- 京都ってやっぱり綺麗なの?どこがおすすめ?
- 白川郷行ったことある?気になってるんだよね!
- 原爆ドームに行って、日本をもっと理解し、勉強したいんだ。
しかし、ゆうは表面的な内容しか答えられませんでした。行ったことなかったから。。
そこで、もっと日本を知りたい!と思うようになり、日本を知る企画を始めました。
せっかく日本にいて時間もあるんだからと、行きたいところ日本らしいところをリストアップ。
日本で1番高いとこに行こう!富士山登山や、(山頂の写真が見当たらず)
今度は潜る!沖縄でのダイビング、

博多から、在来線だけで東京まで移動する「途中下車の旅」などをしてみました。
この数ヶ月で、かなりの経験値を稼ぎました!!魔法の勉強も?、、、笑
カフェでのバイト代と貯金はほぼ尽きたものの←笑、それ以上の体験と新しい世界を知れ、この時に「お金はモノに使うより、経験に使うべき」と悟りました。
そしていざ就活へ。
- とりあえず大きい会社へに入っておけば安心だろう。そして金融がいいかな。経済学部出身だし、なんかかっこいいし。
- まぁせっかくなら、中国での海外進出を強化しているところを狙おうか。
そんな漠然とした考えで、就活スタート。
結果、某メガバンク系列の金融会社の営業職として採用され、ここに入社する事にしました。
入社後まさかの出来事が!あっという間の3年間!
2016年4月1日。ゆうは社会人になりました。
前日の22時過ぎごろまで、神宮球場で阪神タイガースの応援をしており、眠い目をこすりながら、学生気分で入社式に出席。
そしてその日衝撃の事実を知らされます。なんと、最初の配属先は札幌。
『札幌!!!』
そう言い渡され、一瞬で目が覚めたゆう。笑
札幌支店には7年ぶりの新人配属ということで、社内でも話題になりました。(恥ずかしい)
「うそおお!ゆうの素敵な東京ライフがぁぁ!」とも思いましたが、雪国での暮らしは初めて。どこかワクワクしている自分もいました。
実際に札幌に行ったら、予想外の大都市ぶり、大自然ぶりに地元よりも気に入ってしまいます笑
人が東京ほど多くなく、少しゆったりとしている雰囲気がゆうにはあっていたのかもしれません☆
ご飯も最高なので、食べること好きのゆうにとって、まさに天国でした!!
こんな絶品寿司が回転寿司で食べれちゃったり、
まさに自然の芸術。湖に入ってるかのような歴史的な秘境温泉があったり。
コーヒー好きの聖地とも言われるカフェがあったり。
本当に札幌配属でよかった。

しかし、仕事は忙しかったのです。
札幌支店は部店の人数が少ない割に、北海道を全てカバーするので、1人当たりの仕事量が半端ないんです。
そして範囲が広い分、営業にも時間がかかります。時には飛行機で営業。。なんてことも。
慣れない雪道の運転もあり、満喫しつつも、慌ただしい2年間を過ごしました。
そして札幌で2年目を終えようとしていた2018年3月。札幌から東京本社へ転勤になりました。
大好きになった札幌という町。
会社員でいる限り、自分の人生なのに、何をするか、どこに住むか、自分で決めることができない。更に無駄な飲み会や、接待ゴルフ。
そして安定の代わりに、自分の大切な時間や人生を差し出す。
それがゆうには、少しばかり辛く、そして虚しく思えました。
ここで会社を辞めるという選択肢も充分に考えて、悩みまくったのですが、
- まだ仕事を通して経験したいことがある。
- ゆうの性格的にも、金銭的な余裕もあった方がいい。
- とりあえず仕事と発信活動を両立してみる。無理だったらサクッと辞める。
と思い、会社に残ることに。
2018年4月から、正式に東京の本社の勤務となりました。
このままずっと会社員でいいの?ブログを開設?
また、このブログも札幌にいる時に開設しました。
会社で職場の人達と一緒にいても、自分の常識が会社員としての常識で凝り固まってしまう。
中国で感じた、「自分の常識は、意外と非常識」という教訓を思い出しました。
「常識だと思っていることは、ただ自分が見ている、狭い狭い世界だけの話です。これだけ色々なことができる時代。会社員だけじゃもったいないよね。」
そう思い、ブログにも挑戦してみました。
ブログを初めた当初は、中国にこだわっていましたが、書いていくうちに、自分が伝えたい内容ではないことに気づきます。
もっと日常的な、今のリアルなゆうを伝えていきたい。
読者の皆さんに支えられ、ゆうの新たな挑戦がスタートしました。
そして今!
せっかく東京に来たので、このブログを通して色々行動を起こしてみようと思いました。うきうき
元祖応援する人、中村創さんを中心に発足した『チームらぶサポ』メンバーに入れていただき、インタビューもさせて貰いました。
また2018年6月からポートレートのモデルにも挑戦中!
完全素人なので手探りですが、試行錯誤しながら良い写真が撮れればと思います。

そしてそれから3ヶ月後、作品をインスタで発信していたら、「株式会社アミティープロモーション」さんからお声がけいただき、正式に所属させていただくことになりました。

また実際にお声がけいただいた、ゆうのインスタはこちら!!
この時につくづく「発信活動の大切さ」を実感しました。
また、ブログ仲間も絶賛募集中です!
- 一緒に頑張りたい!
- 何か一緒にやってみたい!
- なんか面白そうな人なので、会ってみたい!
っていう方いらっしゃったら、ぜひコメントをお願いします☆
(ブログ関係以外でもウェルカムです!!)
ブログ開設後の詳しいプロフィールや実績は、こちらの記事にまとめてありますので、お時間のある時に合わせて読んでいただければ嬉しいです。

まとめ
いつも読んで下さる皆さん、本当にありがとうございます。
(今回も長いのに、ここまで読んでいただき嬉しい限りです。)
少しでもゆうの生い立ちや人間性がわかっていただけたら嬉しいです。
(まさかの9000字近い。詰め込みすぎたかもです笑)
これからもゆうは、迷いながらも前向きに、そして歩みを止めず進んで行くつもりです。
まだまだ至らない点だらけですが、これからも見守っていただければすごく嬉しいです。(*^^*)
今後ともよろしくお願いします!
ゆう