ゆう(@yuu_fight2525)です!
被写体の活動を始めてから、『センス』という言葉をすごく身近に感じるようになりました。
それは僕がカメラマンさんに言うこともあれば、すごくありがたいことに、言っていただくこともあります。
「センスいいね!」っていう言葉は、すごく使いやすく思いが伝わる褒め言葉。
言われるだけで、やっぱり嬉しいですよね。
センスって一体何だろう
そもそもこの『センス』っていうのはなんだろう、どこから出てくるんだろう。
一時期そんな風に思って、すごく考えた時があったんですよね。

そんな中、個人的に出した答えが、
『場数を踏んだ数(経験量)×陰ながらの努力量×継続時間』
これでした。
そしたら先日。同い年でブログ仲間でもあるカメラマンさんが、Twitterで似たことを言っていたんです。
カメラをはじめて気づいたことは、センスのよさは圧倒的な経験に基づくものだってことで、子供の頃毎日絵を描いていたわたしはセンスがいいとよく言われてたけど、それは自分の経験や参考にした絵をアウトプットしていたからだ
子供のときの作業量は圧倒的だった
だから今の自分はまだまだやれる
すごく共感ですし、タイミングもぴったり。
どこか嬉しさも感じました。
センスに溢れてるのは、それだけ行動しているから
「あの人はセンスに溢れてていいなぁ」、「センスのかたまりだなあ」そんな風に思うこともきっとありますよね。
(ゆうもあるよ!!)
でもその裏には、きっとあなたが知らないような、過去の「圧倒的な経験」や「見えない努力」などが積み重なっているはずです。
そしてそれが土台となって、この「センス」というものを作り上げているのだと思います。
なので最近は、「センス」という言葉だけで片付ける(相手を褒める)のは、どこか申し訳ないなぁと思うようになりました。
被写体やっててもすごく思う。
やっぱりセンスって、どれだけ場数を踏んだかによって溢れでてくるものな気がする。
なので影での努力を「センス」って言葉だけで簡単に片付けるのは良くないし、申し訳ないなぁと、最近思い始めた。 https://t.co/jCNLEqJLEb
センスとはきっと、その人が歩んできた「あしあと」そのもの。
そのことに気がついたら、どこか気持ちも楽になる気がします。
結局は自分が行動すること。
僕はこれが全てだと思うのです。
逆に言うと、正しい行動さえしていれば、道は意外と開けていくのかもしれません。
ゆう